2:いよいよ楼蘭の美人と対面して、バスでトルファンに向かった


発掘当時は色白美人でした。

 2003年に発掘された3800年前のミイラだ。発掘当初は色白でまつげ

が残り、膨らしていたと新聞載っていた記憶があるが、面会したミイラは処理

の過程で黒ずんでしまい、他のミイラと変わらない姿だ。

 

 バスでトルファンに移動しながら、砂塵のタクラマカン砂漠を地平線の先まで

続く真直ぐな高速道をゆき、火焔山を眺め、高昌古城に寄り、天山山脈からの

水を引く地下トンネル(カレーズ)を見学する予定で150km三時間の旅になる。



保存処理で他のミイラと

同じ姿になった。残念

復元された生前の顔

40代の美人とか


 標高約900mのウルムチから下りタクラマカン砂漠の北の端を走る。やがて左手に泥色の山が近づいてきた。標高は500mで100kmも続く山脈だ。赤色の地肌は侵食で深い溝になり、火焔山と呼ばれる場所に来た。途中に世界最大規模の風車発電群がある。

   

 火焔山を見るのに道路の脇で警笛を鳴らし突っ走る車を気にしての写真撮影になる。

火焔山公園があるが時間と予算の関係か寄らないのだ。また登山路が見えて中腹に千仏洞があるようだ。




広大な城内

玄奘三蔵の旅立ち像

 火焔山の近く、日干しレンガで作られた崩れた壁の塊が現れた。

入り口に玄奘三蔵の旅立ちの大きな像が飾られていて、高昌古城の起源は紀元前と言われ、玄奘三蔵がこの地で援助を受けてインド(天竺)へ向かった

   

 古城は広大で周囲5kmで土壁などが残されている。 

広い城内を電動カートで進み長方形の壁(2001年宇宙の旅のモノリスのモデル?)や

僧侶たちの寝室も残されていた。壁にもたれて寝ていたようだ。

長い時が過ぎて仏画などは削れてしまった。  



摘み取ったブドウは風通しの良い小屋で自然乾燥

 ブドウ畑だ。根元から幹が支柱に沿って傾斜してその先がブドウの葉が茂っている。日本のブドウ畑は頭上に枝を広げる作りだが、ここでは幹を1mほどの間隔で植えられていた。

   

 雨が少なく、日照があって、冷え込む気候はブドウ栽培に適して、ブドウは甘いので長持ちしないため干しブドウに加工している。またワインを開発できたとか。

 収穫したブドウは自然乾燥用に作られた風通しの良い小屋にぶら下げて作るそうだ。

今は電気乾燥になったようだ。

 



 トルファンに地下水路を作り火焔山付近から水を引いている。千年ほど前に作られた水路

があるそうだ。水路(カレーズ)の博物館に見学コースがあり、おみやげ屋の間を進んで水の流れに手を浸した。

 

 ガイドの説明では水がありそうな山際の場所に井戸を掘り、水が必要な方向に次の井戸

を掘って水の出る井戸をつないでゆく。いくつもの井戸を掘って数km先に供給する。    



 夕食にウイグルの民家に寄り、ブドウ棚の下で家庭料理を味わった。

カチカチのナーンにかぶりつき、金ぐしに刺した小さなシシカバブーで食事は終わった。

 

 食後に10歳ほどの二人の姉妹のウイグル踊りが披露された。

小さい弟が踊りの邪魔をしていた。