6:青の洞門に入れますように、ヴェスビオ火山が噴火しないように。と祈る


 ナポリ迄バス移動してあこがれの青の洞窟を目指す、往復8時間バス旅が始まる。

革張りのゆったりした横3列のシートは今まで移動してたバスとは大違いだ、もちろん冷房はばっちり効いている。これで南イタリアを向けていざ出発。

 

 一時間ほどで休憩場所へ到着し、何か土産品でもあるかと物色、朝食代わりのビスケットでは腹が空いてきたので、サンドイッチを補充する。バス車内での飲食は禁止されているお国なので食べ残しはザックの底へ押し込んで、夕食用に宿に戻ってからだ。

 

 

 ナポリ到着、遠くに二つの峯を持つヴェスビオ火山が見える港だ。高曇りで今日は洞窟に入れるとの情報だ。




ジェットエンジンのような音を立てながら満員の高速船はいざCAPRI島へ、およそ50分間の船旅。

ここから小型のモーターボートに乗り換えて波に揺られながら青の洞窟に向かう。


 いよいよその場所に到着。既に洞窟を目指す何隻かの船がいた。直ぐ近くの陸上からも入れるらしく、そこからもボートに乗船する順番待ちの人が階段にも大勢いた。停船して待つこと30分、やっとボートに乗れた。

 

 青の洞窟の入口は狭くて、手こぎのボートでしか入れない、潮が満ちてたり、波が高いとだめ、また雨が降たりすると光が不足して綺麗に見えないなど、洞窟に入れる機会は少ないらしい。日本から2度も来てやっと入れた人がいた。

 

 船頭さんの合図でボートに寝そべり、船頭さんはロープを引いて洞窟に入る。


 突然に船頭さんが船底をダダンと足で踏みならすと、それに合わせて洞窟内の10隻ほどの船頭さん達が(O sore mio)を歌い出す。本人達はあの(Pavarotti)のつもりになって、歌い上げ、洞窟内に響き渡り、歌い終わると静けさが戻りボートは出口に、またすれすれの岩穴を抜けて外に。わずかな時間だった。

 

 静かに紺碧の光を放つ暗闇は、ほんの一時だった。

洞窟の光は、もしかして青色LEDを海中に沢山沈めて、一斉に点灯したのかな。と思うほど鮮やかに輝いていた。



 私達の一団がすべて入り終えると、ボートの船頭さん達も帰り支度をして、モーターボートに引っ張られて港に戻った。昼休みかそれとも午後は洞窟に入れないのか。

 

 狭い波止場から小さなバスに乗車して、対向する車をぎりぎりに避けて、丘を登りレストランへ。青い海が見えるの素晴らしい場所でやっと昼食にありつく、旨かった。

 パパイヤほどの大きなレモンが実り、土産屋でレモン酒をお毒味、ごった返す港で船待ちのひとときだった。

 

 ここの海水が日本と違うのかと、なめると塩が効き過ぎかな。地中海は流れが無くて太平洋と比べると塩分濃度が高くなっているらしい。



 ナポリの港に戻り、ポンペイ見学に行った人達と合流し、自慢話をしながらローマに戻る。ガイドさんからお祈りのお蔭ですよ。との報告。ポンペイは2千年ほど前に栄えた町で、今と同じ高度な生活をしていたそうだし、噴火の際に犠牲になった人達は金持ちが多く、貧乏人は直ぐ逃げだし、財産を持ち出したい金持ちが戻って火山灰に埋もれたとか。

 

 今でもヴェスビオ火山は噴火の危険があり、山麓に住んではいけない規制があるが守られないそうだ。